兄の命日に想う
6月28日はわたしの兄の命日です。
今からもう34年前のことです。
特別仲が良い兄弟だったわけではありませんが、3つ年上の兄はわたしにとって常に憧れの存在でした。
兄は当時大学医学部の1回生。ラグビー部に所属するスポーツマンで、健康には何の問題も無いように見えていました。ところが、冬休みに実家に帰省していた時に貧血症状で突然倒れ、そのまま入院してしまいました。
検査の結果、両親に告げられた病名は胃がん。しかも、すでに肝臓に転移している進行胃がんでした。
当時は胃がんに対する治療法が十分に確立されていない時代でしたので、開業医であった父が痛みを緩和する治療を行いながら、最後は自宅で看取りました。
亡くなった時、兄は19歳でした。
16歳だったわたしはあまりにも無力で、闘病中の兄に対しても、必死で看病した両親に対しても、本当に何もできませんでした。
それまでのわたしは、町医者だった父親のことをあまり好きではなく、兄が医学部に入ったこともあり、医師になるつもりはありませんでした。
兄の死がわたしの人生のターニングポイントになったのは言うまでもありません。
地域の人のために働く町医者の大切さも、その時身に染みて分かりました。
おそらく兄は「スキルス」と呼ばれるタイプの胃がんだったのではないかと思います。
スキルス胃がんは、胃の壁に沿って染みこむように広がる特殊ながんであり、かなり広がるまで症状が出ません。そのため、見つかった時には多くが進行しており、5年生存率が7%未満と極めて予後が悪い厄介ながんです。しかも、通常の胃がんとは違い、若年者にも発症することが大きな問題です。
わたしが消化器内科医になって25年経ちましたが、その間に兄のような10代の胃がん患者さんを診たのはたったの1人です。
極めて珍しいとはいえ、本人も親も受け入れがたい若い世代に発症し、大切なその命を奪うがんです。しかし、兄の死から34年たった現在でも、遺伝やピロリ菌だけでは説明がつかず、スキルス胃がんの原因は良く分かっていません。
兄と同じような悲しい出来事を避けるための有効な手段は、残念ながら未だに確立されていないのです。
医療従事者になってからも、まだまだ無力であることを痛感させられます。
今日、クリニックの立ち上げを、墓前で兄に報告してきました。
思わぬ形で兄の夢を引き継いだわたしですが、兄の分も一日一日を大切に生きながらクリニックでがんばる姿を見せることが、一番の供養になるのではないかと思っています。
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「ひだ胃腸内視鏡クリニック」院長 樋田信幸の公式ブログ